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お久しぶりでやんす

  • 2009/12/27(日) 13:36:46

なんだかんだ忙しくして居りまして、ブログの更新の時間が取れずじまいで年末になってしまいましたね!

その間も色々な事もあり、報告もままならずに申し訳ありませんでした。

最大の報告はあるがん患者のラストアルバムの制作に参加する事となり、昨日でひと段落。

長年の夢であった100曲を超えるオリジナルの中から厳選の12曲を制作しています。

その方は山本泰裕さんで僕の1学年下のまだまだ元気な3年前に余命宣告された、食道がんの方なのですが

兎に角元気で、健常者の僕達が呆れるほどの人生前向きな方です。

きっかけは、前々からの知り合いの茅ヶ崎のスタジオ「CLIP]の東さんから、井上さんBassの伊藤広規さんって知り合いだったよね?って問い合わせがあったので事情を聞くと、山本さんの状況と人生を賭けて山下達郎さんのファンで、特に達郎さんのリズム隊その中でも広規さんの低音がどうしてもご自身のアルバムのボトムで固められたらとの熱望で、時間があればうわ言のように「広規さん」「広規さん」と呟いて入るとの事なので、早速連絡を取ってみると広規さん本人もあっけなく「いいよ!」の快諾!

早速、山本さんの限られた時間も手伝い、12月3日にレコーディングが実現!オイラもピアノで参加するハメになり、茅ヶ崎通いが週一か二日ほど続き、山本さんはその都度病院を逃亡して駆けつける!

もの凄い生きる事への情念がアルバムに詰まっていますね!

2月には発売と共にレコ初ライブと山本さんのスケジュールは常人のスケジュールを遥かに超えたハードな物です。

山本さんの情報として、脳腫瘍のため他界した故津田恒美の最後の体質改善(延命治療)の指導をしていたことで「最後のストライク」の番組にも登場している方です。(詳しくは本人から頂いたプロフィールを一番下の「続きを読む」に載せますので興味のある方は読んでね)

2009年の最後に来て凄い経験に感謝と参加できたことにも感謝、兎に角周囲のサポートと協力体制はご自身の人間力の賜物でしょう。

PS、暫くブログ放置のつけでしょうか?PhotoshopがPCからすっかり消えてしまい、写真ブログをモットーにしていたオイラですが、何もアップできませんでした。

誰か他の方法教えてくれ~!
解像度が多くて「ファイルが大きすぎてアップ出来ません」と拒否られて困って居ります。トホホ

山本泰裕 プロフィール
1958年1月岐阜県大垣市生まれ。父親の仕事の関係上全国を転居 する。
1977年獨協大学外国語学部に入学。81年卒業するも就職をせず シンガーソングライターを目指し当時にしてはまだ珍しいフリーターとなる。

何ヵ所かの小さなオーディションは通るもののメジャーデビューを果たすことなく道をさまよい続ける。

 1983年(?)中野サンプラザで見た山下達郎氏のパフォーマン スに頭を殴られたような衝撃とショックを受け音楽の世界から身を引くことを決意する。(身の程を知る)以後サンプラザで行われる達郎氏のライブは一日も欠かさず行く達郎フリークとなる。

84年、父の病気がきっかけでマクロビオティック(食事療法)に出会う。
長年悩んでいた自らの椎間板ヘルニアも三か月で完治させ自信 を深める。
86年に(株)セントライフを設立、全国の生命保険会社を中心に 「食育と民間療法」などについての講演会を行う。その回数は1500回を優に超える。

 講演会活動のほか療術師としても活動し、広島カープを中心に野球選手等の治療もこなすようになる。
北京五輪代表チームの投手コーチ大野豊氏もそのうちの一人であった。(現NHK解説者)

他にも脳腫瘍のため他界した故津田恒美の最後の体質改善(延命治療)の指導をしていたことはあまりに有名。
その内容はNHK出版「もう一度投げたかった」(NHKスペシャル「同名」で放映)。        
 幻冬舎「最後のストライク」(津田晃代著)にも詳しく記載されている。
懸命な闘病生活の末、一時は奇跡的な回復を遂げたかに見えたものの1993年、永眠。
しかし彼「津田恒美」の実績、人間味は日本テレビ「知ってるつもり」テレビ朝日「哲子の部屋」岸谷五郎氏熱演のフジテレビ「最後のストライク」などでも取り上げられ、今でも悲運の名投手として名高い。

とはいえ肝心の山本泰裕は「彼の死」と「バブル崩壊」とのダブルパ ンチにより人生をまたもや迷走。様々なストレスにさらされ、死を考えるようにさえなる。
その後、女性下着のネットワークビジネスという慣れない業界で一時的に身を立て直すも肉体的、精神的ストレスの中10数年。体に不安を覚え胃カメラなどの検査を受ける。
 2006年12月、国立がんセンター東病院で食道癌(扁平上皮癌)の3期と告げられる。科学的治療を受けなければ余命1年を宣告される。
癌の三大化学療法にもともと異を唱えていた同氏は自らの経験と知識による「自然療法=代替療法」を迷わず選択する。
 自らの病を自然療法の集大成とするべく完治をめざす。(最悪でも元気な状態で医者の宣言した余命1年越えをめざす)
 ただし癌の種類、できた場所の困難さを認識していたため、ただ単にQOL向上だけでなく、絶えず人生を「残り三か月」と仮定して生きる生き方をするようになる。
(「一日一生」は難しすぎるので「三か月一生」?あと三カ月しか生きられないとしたら自分は今何をしたいのか?何をしておけば悔いが少しでも残らないのか?を自らに問うたところ20年以上遠ざかっていたライブ活動という答えが出た。「もう一度だけ歌いたい!」そこで野田市の小さな会場で三十名ほどの観客の前でギター一本の弾き語りで今生の別れに?? と熱唱。それが変にウケ、もう一度昔の熱い思いが込み上げてきた。
 「よし半年後、もしまだ元気でいられたらもう一回ライブで皆さんに聴いてもらおう。その時には一度も発表したことのないオリジナル
曲にも陽を当ててあげたい」と決意。
 それがもう7回のライブを数え、最近では少し「あきれられるほど」になっている。

 病状は一進一退を繰り返す。余命一年がもう丸三年経ちながら大きな転移も見られず腫瘍マーカーは正常値を示し沢山のドクターの首を傾げさせているものの、癌は食道の中心に依然存在。それどころかゆっくりと深く浸潤し流動食しか受け付けないという予断を許さない状態にある。
 腫瘍が声帯に浸潤しないうちに「この世に生まれて確かに生きたという証」を残そうと10月よりオリジナルCDを自費制作中。
ランジェリー業界の最成長株グラントイーワンズの代理店ばかりを集めたハーモニーカルテット「ランジェリーキャラバン隊」を結成。
 現在16歳になる一人娘(紗耶加)がやがて母親になる。「その時には自分はもう生きていないかもしれない。」その孫が音楽を理解し始めた頃に「お前のおじいさんはこんな人だったんだよ」と娘が語れる思い出作りのため。そんな軽い気持ちからスタートしたものが今回のCD制作の発端。しかし今ではこんな 短期間に数多くの協力者に恵まれ当人の思惑をはるかに超越したムーブメントを巻き起こしている。(いや巻き込まれている?)
アルバムタイトルは「Remind A of B」(サブタイトル「僕の忘れ物」)
 今日本では多くの癌患者が行き場を失い「がん難民」と言われている。しかし「癌をどう叩き、いかに治すか?」という事ももちろん大切だが「どう癌と共生し残された余命をいかに価値あるものにできるか?」を提案していきたいとも考えている。
人間いつかは何かで死ぬわけだし、癌細胞も必死で殺されまいと生きているわけだし、意地悪や偶然で発生したわけではないのである。ましてやそれを作ったのは間違いなく自分自身。
だったらそれを自分だけが被害者意識を持って一方的に癌細胞を悪者のように叩くのもどうか?と思っている。
生きがい療法による免疫力の向上。(なんだ、結局叩くのか?と聞こえてきそうですが)人間、意味のないことは起きないはずです。ゴールを決めて必死に生きれば、そこにおのずと何らかの、その人にしかできない役目が見えてくるような気がします。
これといった生きがいも夢も目標もなく、ただ生きてきた普通の人間が「癌」のお陰で感謝を知り、感激を味わい、感動に身を震わせることができるようになりました。
 今では癌になって本当によかったと思える極々少数派の人間が山本泰裕です。

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  • 投稿者: -
  • 2009/12/29(火) 09:03:18
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Re: タイトルなし

> 4年前癌で他界した弟を想い出しました。

あなたも凄い経験をしていたのですね!

でも、この経験(身内の極近しい人の)はとても大切なことを教わる事でもありますよね!

これからも、元気に健康で生きている喜びを精一杯感じながら、歳相応に頑張っていきましょう!

  • 投稿者: keta
  • 2010/01/01(金) 13:17:13
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